Amigos No.97-3
2011年12月


笑 顔に結びついた絵本

=ペルー・リマ小学校訪問記=


 8月19日、私はCALOがドリルや絵本を贈っている5つの小学校のうちの2つ、コマスとインデペンデンシアを訪問しました。 ジャネットさんの夫のゴンサロさんと待ち合わせてリマから車を走らせること1時間半、ようやくコマスに着きました。学校で1
 門を開けてもらうとすぐに校長先生が出迎えてくださり、CALOが建てた校舎を見せていただいてから、授業を覗きました。
 麻薬の危険性に関する授業で、児童たちはみな積極的に手を挙げて発言しているのを見て、感心しました。 そして、きりのいいところで絵本を配らせていただきました。するとすぐに「グリとグラ!」と、子供たちが元気よく手を伸ばしてきました。 そして今回の目玉、「太陽に昇ったコンドル」について、ゴンサロさんが児童に説明してくれました。 みんな満面の笑みで新しい絵本のページをめくっていきます。 そんな子供たちの笑顔を見ていると、私までとても幸せな気持ちになりました。
 校長室でお話をするために外へ出ると、もう下校の時間のため児童が校庭に出ていました。 話が終わってから児童の所へ行くと、みんな笑顔で近寄ってきてくれます。 ある男の子は私の腕にある火傷を見て「これ地震と津波の怪我?」と心配してくれました。みんな人懐っこくて笑顔が素敵でした。 校長先生からの感謝の言葉と子供たちからの「ありがとう!(日本語で)」に見送られ、小学校を後にしました。

 次の小学校はインデペンデンシア。同じくそろそろ下校の時間のようで、 子供たちは校庭にいました。後ろから先生が出て来られて、日頃の感謝の言葉をいただきました。 新しい絵本を渡すと、「すぐに子供たちに見せたい」とおっしゃったので校庭にいた子供たちに渡しました。 同じようにゴンサロさんが説明してくれると、男の子2人組が「太陽に昇ったコンドル」を指で文字学校で2をなぞりながら一緒に音読し始めました。 絵本のお気に入りを聞くと、最後の虹色のページを開いてみせてくれました。 最後には「ありがとう、CALO」と書かれた手作りのしおりをプレゼントしていただき、 同じように日本語で「さようなら、ありがとう」と言って見送っていただきました。

 

両方の学校に共通して言えることは、CALOの活動にとても感謝していただいていることと、 子供たちも先生方もとても喜んでくれること。地震や津波の影響に対する心配や、日本という国に対する関心や興味が挙げられます。
 私は今回の活動を通して、日本で行っていた作業がこれほどまでに感謝され、多くの笑顔に結びつくことを身をもって感じました。
絵本や算数ドリルが実際に児童の教育にどれほど役に立つかはわかりませんが、
このように喜んでもらえるだけでやりがいがあると思いました。地球の反対側で、 私たちが作り上げた翻訳シールの絵本がこれからも多くの笑顔につながっていくことを願っています。

学校で3

川北 雪代(CALO会員、大学生)

憧 れのマチュピチュに涙

ペルー旅行記


 8月16日から12日間、私は日本の反対側にあるペルーにいました。 空港に着くとすぐに宿のタクシー運転手が待ってくれていて、助手席に乗ろうと思って車の左側へ向かいました。 すると運転手から一言。 「君運転できるの?」一瞬考えて、ふと窓から中を覗くとハンドルが見え、左ハンドルということに気付きました。 通りに出るとクラクションの嵐、カジノの明かり、ボコボコに傷んだ車。「ペルーに来た!」と初めて実感しました。


♪文化の違いを体験♪

 リマでの滞在中はリマ探索、ナスカの地上絵、小学校見学などと、充実していました。初めて食べるものが多く、 美味しかったり、口に合わなかったり、量が多すぎたり、しょっぱすぎたり、食文化や食生活の違いも体験できました。 ペルーの果物であるルクマや、インカコーラ、ペルー独自のものもいくつか挑戦してみました。 最初は、慣れない味で戸惑いましたが、慣れると美味しく感じることが多かったです。


♪いざ、マチュピチュへ♪

― リマからクスコへ21時間のバス―旅行記1

 そして、何と言っても今回の旅の最大の目的はマチュピチュ。 ちょうどこの頃にペルーの航空会社が問題をおこしていて、航空券の値段は驚きの高さ。 貧乏旅行の私は、しぶしぶバスでクスコに向かいました。 乗車時間21時間。アンデス山脈を通るということで、標高が高い上に肌寒く、いくら寝てもなかなか着かず、 クスコに着いた頃には疲労困憊でした。良かった点はただ一つ、星がプラネタリウム以上に綺麗で流れ星が見えたことです。 二度とこんなバスには乗りたくないと思い、クスコ到着後すぐにリマに戻る航空券を買いに行きました。

― 燃えた冒険魂、バス、タクシー、歩きで―

  クスコの標高の高さに慣れず、体調を崩しましたが、マチュピチュが私を待っていたので翌日出発。 マチュピチュ村への一般的な行き方はビスタドーム等の観光列車ですが、ここはやはり私の冒険魂が燃え、別ルートで行くことに。 6時間バスに揺られ(リクライニング無し)、ちょっと酔った後は断崖絶壁の道を乗合タクシーで1時間半。 後者はまだ楽しめたのでよかったです。ここからがメイン、観光列車が通る線路沿いを2時間半ひたすら延々と歩く、歩く、歩く。 残念ながら途中で日が暮れ、周りは真っ暗。懐中電灯の光を頼りに一歩一歩進みました。町の灯りだと思って期待するも、それはホタルの光。 その美しさに感動するも、がっかり。しばらくして、町の灯りが反対側の山の側面に映っていたのを見つけた時は嬉しすぎました。 町の灯りがどれほど温かく、客引きがどれほど嬉しかったことか。 旅行記2

― 感動で、泣きそうに―

旅行記3  疲れた体を休めるために、翌日はマチュピチュ村(マチュピチュ遺跡の下の方にある)を歩き回りました。 小さな町でしたが、体力回復にはとてもいい所でした。そして次の日はいよいよマチュピチュです。 十時からワイナピチュ(マチュピチュ遺跡の端にあり、穀物倉庫などがある山。 上るとマチュピチュ遺跡が見下ろせる)に登るために五時に起き、バスに乗りマチュピチュ入場。 教科書で憧れていた景色が目の前に広がった時は思わず泣きそうになりました。 一緒に旅行していた妹に「感動して泣きそうやわ」と言うと、「泣けばいいやん」と冷静な一言。 妹よ…そういう問題ではない。少し歩き回ってからワイナピチュ登山。道ではなく、崖に沿って作られた急な石段をひたすら上りました。 一時間もせず、登頂。達成感からくるものもあり、その景色はまさに絶景。 しばらくの間その景色を眺め、下山してからマチュピチュの遺跡巡り。この時にはもう既に私の体力は皆無。 妹に引っ張られながら観光し、数時間後には村まで帰ってきており、その数日後には帰国していました。 体力を要する旅でしたが、総じて楽しめたいい旅でした。

川北 雪代(CALO会員、大学生)

旅行記4


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