Amigos No.82-2
2008年8月

年に一度のペルー・クスコの祭り

インティライミに出会う旅

ついでに、算数ドリル配布校コマス小学校にも!

風間 武喜


「飛行機に乗るのがいやなので海外旅行は一度も行ったことがないんですが、マチュピチュだけはどうしても行ってみたい。ついては風間さん、私を連れて行ってくれませんか」と後輩のT氏。私は2004年にペルーに行っているのでどうしたものか逡巡したが、再三の懇願にほだされ、再訪を決意した。

旅の三つの目的

 二度目の旅となるので前回の経験をふまえて、おおよその旅の目的を考えてみた。

1:アンデス高原でアンデスの風を体感する。

2:年に一度のクスコのインティライミ祭を見る。

3:ボリビアのフォルクローレを聴く

 この3点を満たしてくれて比較的ゆっくりしたスケジュールで行けるツアーを探してみた。大阪発のツアーでは該当するものが見つからず、東京発のツアーで14日間コースを見つけ今年2月に申し込んだ。

野球帽を届ける

 私の旅のことはCALOの梶田さんの知るところとなり、その折には絵本を現地へ運ぶことになったが実際には、私の年齢と体力の衰が考慮され、帽子(2007世界陸上大阪のあまり物)25個と極めて軽量化してくれたので助かった。  6月17日、伊丹から成田を経由して出発したのであるが、成田発のツアーに大阪から参加するのは時間的な効率が悪い。今回の私の場合、成田16時発なのに、伊丹空港発は8時だった。6月17日、同じ日付の23時にヒューストン乗継でリマへ到着。フライト時間は延べ19時間かかった(成田から)。6月18日、リマの朝は霧に包まれ、どんよりした空模様だった。  シエラ(山岳部)では乾季でも、ここコスタ(海岸部)では毎日こんな天気だという。沿岸部を流れるフンボルト寒流の影響だそうだ。CALOの現地スタッフジャネットさんと8時15分に待ち合わせしていたが、現れたのはご主人のゴンサロさんだけだった。彼女はどうしてもはずせない仕事があったらしい。とりあえずCALOからのプレゼントの野球帽25個と、私からのボールペン100本を彼に託し、CALOの現地活動経費の精算をすませた。次はリマから日本への帰国便が出る28日の午後に数時間の自由時間の時、一緒にコマスの小学校を訪ねる約束をした。ただし、その日は土曜日なので学校は休みで先生も生徒もいないかもしれないとのことだった。

ナスカへ地上絵の鑑賞飛行

この日はリマ市内で天野博物館を見て、リマのカテドラルに入り、450q離れたナスカへバスで移動し、宿泊。天野博物館は日系人の天野さんが収集されたプレインカ文明の出土品を展示しているこじんまりした博物館だが、特に古代織物の展示が有名で約1500年前の布が色もあせずに完璧な状態で保存されているのは驚きだった。 6月19日、ナスカの地上絵鑑賞飛行は霧が晴れないため14時からに延期となる。4人乗りのセスナからは機外の風景はアッという間に流れていくのでカメラはあきらめていたのだが、折からの強い日差しで線の陰影がクッキリと浮かび実によく見ることができた。 リマへの帰路はまた長いバス旅行となり、ホテルに22時頃帰着し、ペルーの観光旅行ではリマを起点とするナスカ往復がタフな行程になるのだが、旅の最初にこれが組み込まれてたので体力的に助かった。

いよいよアンデスの高地へ

6月20日、今日からアンデスへの8日間の旅のはじまり。クスコの空港から背後の山の上にあるタンボマチャイの泉へ向かう。ここは高度3700m。海抜0mのリマから一気に飛んできたのでバスを降りるともうすぐにフラフラになる。泉までものの500〜600mのダラダラ登りを20分かけて途中3回も休みを入れながら、もちろん一行の最後尾を喘ぎ喘ぎ行く。クスコ在住の現地ガイド、マリソルさんですらイヤホンガイドを通してハアーハアーという荒い息使いをしている。 タンボマチャイからケンコー遺跡を通って昼食にクスコへと戻ったが、レストランのあるアルマス広場はパレード参加者と見物人とで人の海。パレードも村単位のもの、企業の参加、大学のサークルなど、まるで徳島の阿波踊りの「連」みたいなものだ。クスコでは24日のインティライミ祭本番までの一週間ずっと祭りが続くのだそうだ。インカの末裔たちはこの一週間で一年のうさ晴らしをしているのだろうか。クスコから今夜の宿泊地ウルバンバ(標高2,800m)へ向かう。

ピサック市場でバザーの仕入れ!

途中ピサックの市へ寄る。もともとインディヘナ(ここではケチュア族)の物々交換市だったが、今では観光客相手の大規模な土産物市場に変貌している。ここでCALOがバザーなどで売るための品物を買う。アルパカ製品などは本物、偽物の見分けがむずかしいが、とにかく値切って買う。

マチュピチュへ

6月21日〜23日、ウルバンバ川の聖なる谷を鉄道ビスタドーム号に乗ってマチュピチュ村(旧、アグアスカリエンテス)まで下る。伊香保温泉の石段街を連想させる温泉浴場へ続く坂道の入り口にあるホテルに投宿。22日は朝から快晴。バスで遺跡ゲートへ上り見張り小屋の辺りからおなじみの遺跡全体を望む。マチュピチュ特有のウルバンバ川から立ち昇る雲霧も全くなく幻想的な光景には出会えなかった。この時期はインティライミとの関係で観光客の数も多く、日差しも強烈なので午後は一番下の広場(3つの窓の神殿の前)の一本樹の木陰で寝そべったりしてすごした。

絵本作家・西巻茅子さんとの出会い

 翌23日元気な人(一行15人中11人)は早起きして「太陽の門」へのインカ古道トレッキングや遺跡背後のワイナピチュ登頂にチャレンジしたが、私はのんびりと石段街の散策へ。ホテルへ戻ると同じ居残り組の一人で鎌倉市在住の西巻茅子さんが話しかけてきた。彼女は40年来この方絵本作家として活動されているとのことで、旅の冒頭のツアー参加者の自己紹介の際に私の「CALOのペルーの子どもたちに絵本を贈る活動」を聴いて、協力できることがあればと申し出られたのである。私は梶田さんはじめ会員にはかることを約して感謝の意を、表した。ひょんなことから私たちの活動の輪が広がればと願っている。

(次号につづく)

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