Amigos No.120-3
2018年6月
感嘆すべきCALOの活動 &あとがき
☆ 信じられないほどの「人間の鎖」☆
ノムラ ルイサ
オクマ(在ペルー)
私が大阪に留学していた時のホストファミリーがCALOの活動のことを知らせてくれました。今から考えると、
私たちが長い人生を通じて作る「人間の鎖」というものは信じられないほどのものです。
それは長い距離を離れていても、どんなに時間がたっても壊れることはありません。
最初の印象は、とても興味深い算数ドリルの寄贈を通して、ペルーの恵まれない子ども達を助けたいという大きな情熱に驚きました。
ペルーというそれほど知られていない、日本から遠く離れた国になぜ興味を持ったのだろうかと疑問に思いました。
上記で述べたように、世界で絡み合っている「人間の鎖」がここでも働いて、彼らは日本でペルー人とのいくつかの出会いから、
ペルーへの支援を決めたのだそうです。
1999年、梶田雅子さんは、CALOが算数ドリルを寄贈できる小学校を見つけてくれないかと私に依頼しました。
私はリマ市の東部の住宅地に住んでいて、当時は低所得層の子どもたちの学校とはコンタクトはありませんでした。
またここで、その「人間の鎖」が働いて、ライオンズクラブ関係者と出会い、私が住んでいた場所から非常に近い所、
ほんの4キロしか離れていない「マンチャイ」という町についての話を聞きました。丘の裏側にあるその場所に行くと、
砂の上に建っているムシロで作られたたくさんの粗末な小屋、非常に貧しい村があることに驚きました。
そのほとんどに電気、水道、それに排水がありませんでした。こんなに近い所なのに、まったく別の世界があり、
人々が生き残るために一所懸命生活し苦労していることは考えられませんでした。
ペルー沿岸ほとんど雨が降らず、唯一川が流れる谷では土地が肥沃ですが、それ以外はすべて砂漠化しています。
ここ「マンチャイ地区」は都市部の背後に隠れた、水のない、したがって緑のない砂漠の丘でした。
1980年にペルーは軍事政権から12年ぶりに民主主義に戻りました。しかしその後の20年間にテロが勃発し、
経済社会的危機の時期を迎え、多くのペルー人が山間部から首都に移住しました。
1982年ころにマンチャイには南部と中部の高地からテロリストの暴力と貧困から逃れてきた人々が住みはじめました。
山間部から小さな子どもたちを連れて、より良い未来を達成しようと移動するのに躊躇しなかったし、
どんな困難にもめげず、少しずつ岩や砂の間にムシロで貧しい小屋を作っていきました。
しかし、そこには基本的な公共サービスなどなにもないところでした。
1996年、カトリックの司祭ホセ チュキヤンキヤマモト神父がマンチャイに赴任しました。
精神的にだけでなく人々を全面的に助ける仕事を熱心に始めました。
彼は進歩の基礎は教育であると確信していたので、「ロザリオの聖母」というカトリックの教区(教会の地域)
と同じ名前の学校を建設しました。 始めは低学年のみで児童数も少ない小さな学校でした。
Chuquillanqui神父の祖父母は広島から日本人移民であり、ペルーに適応するために不断の努力をしていた祖父母のように、
彼はマンチャイの人々を助けるために働き続けられました。
こうしてCALOの皆さんとChuquillanqui神父が出会うのでした。私たちはマンチャイに到着し神父は大きな愛をもって歓迎くれました。
マンチャイの子どもたちの教育を強化する算数ドリルの寄贈を大変高く評価し、感謝されました。
学校だけでなく、児童生徒も非常にお行儀よく、最も感銘を受けたのは子どもの秩序と良いマナーでした。
神父は毎日のように寄付してくれるところを探し、児童生徒のために昼食を提供していました。
彼らの家では十分なお金がないため、せめて一日に一度良い食事をとる必要があったと話してくれました。
それと同時に、子どもたちがテーブルでの正しいマナーを学ぶようにこの時間を利用していました。
この最初の訪問から、私はマンチャイへの訪問のたびにCALOの皆さんと数年間も同行させてもらったことを光栄に思っており、
マンチャイ地区とChuquillanqui神父の学校の両方の成長を、大きな喜びを持って一緒に見ていました。
私たちは算数ドリルやCALOのメンバーによってスペイン語に翻訳された絵本を寄贈しましたし、
ある時には、教室を建設するために寄付金も集めました。これは、すべての生徒に喜びを与えました。
神父は私たちに敬意をもって感謝を表されました。すべての生徒が非常に礼儀よく校舎に姿勢正しく行列し、
ブラスバンドも作って美しいメロディーを奏でて私たちを迎えてくれていました。
学校の周りは誰からも見放された地域でしたが、それは何年もの間に、美しい教会、
必要な水や肥料を施され少しずつ緑色に変わった公園などはマンチャイの中心部になっています。
それと同じように学校のすべての子どもたちも同じように、良い将来を築くために毎日必要な教育を受けているのです。
今年の3月には、新しい算数ドリルの寄付のためにCALOのメンバーと同行しました。
ちょうど始業式の日でした。現在は中等学校もある学校がこんなに大きくなっているのを見るのは、
とても喜ばしいことでした。Chuquillanqui神父はCALOからのメンバーが到着したと聞くと、
子どもや保護者にされていた演説を中止し、CALOの紹介をし、寄贈の算数ドリルを受け取られました。
これに対して、子どもたちや保護者たち聴衆は大きな拍手で歓迎してくれました。
CALOの活動と支援は休みなく続いた長い20年でした。
これは算数ドリルを受けた卒業生たちが証してくれました。「算数を学ぶのを助け、高等教育を続けるため良い基礎を受けることができたため感謝している」と
彼らは言ってくれました。
最も支援を必要としている人々を受け容れ、人生の質を高めるため常に努力する人々はすばらしいです。 これは全世界を横切る「人間の鎖」です。
これは私がとても感心しているCALOの活動です。大きな組織である必要はなく、大きな寄付をする必要もありません。重要なのはそれを心からすることで
す。 CALOの活動が継続され、最も恵まれない子どもたちに恩恵を与えるために、今後もその「人間の鎖」とつながりが増すことを神に祈っています。
ペルーの子どもたちのために活動を続けているCALOに感謝し、今後も長い間それを続けられますように願っています。
(原文はスペイン語、翻訳:オチャンテ ロサ)
CALO例会のスケジュール 7月21日(土) 8月18日(土) 9月29日(土) いずれも午後2時半〜4時、みのお市民活動センターで行います。 *ペルーの子どもたちに贈る翻訳絵本作りをしています。 どなたにでもできる簡単な作業です。一度のぞいてみてください。。 |
あとがき: ☆このAmigosを作っている今、昨日は大きな地震に見舞われた大阪です。
わが家は箕面の山すそに位置し、土砂災害の危険があるので避難準備するようにと市の広報車がまわっています。 (M) |
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