Amigos No.105-1
2013年12月
CALOの算数ドリルとともに育った子どもたち
マンチャイの「ビルヘン・デル・ロサリオ」(ロザリオの聖母)小学校
梶田 雅子(CALO代表)
最初に、この2枚の写真を見くらべてほしい。左の一枚は2007年にこの学校を訪問し、
運動場で子どもたちに囲まれ「じゃあ、並んでごらん。いっしょに撮ってあげるから」と言って撮った写真である。
今年3月ここを訪れたとき、この写真を持って行った。学校創設者の神父に見せると
「ああ、この子たち、上の学校(中等教育)にいますよ。呼んできましょうか?」と。授業中にもかかわらず、呼ばれた彼らがやってきた。
なんと、全員そろっている。みんなニコニコしてひとりずつ挨拶(キッスと抱擁)に来てくれた。みんなわたしよりはるかに背が高い。
日本でいう高校2年生だという。写真を見ながら面白そうに「ボクはここ。君はこの横だ…」などと言いながら2007年の写真と同じ順に並ぶ。(写真右)
大きくなったね。そして、みんな質素な制服だがきちんとした服装で態度も堂々として落ち着いている。
まるで神父さんが「優等生」だけを選んで連れてきたみたいだ。
しかし、彼らは確かに6年前に、あの校庭でサッカーをしていて、わたしたちを見つけて走り寄り、まわりに群がって来た子どもたちだった。
14年前のマンチャイの「ビルヘン・デル・ロサリオ」(ロザリオの聖母)小学校
初めてこの地を訪れたのは1999年10月5日であった。
わたしたちCALOがペルーの子どもたちに算数ドリルを配布し始めたのは1995年であったので、それから4年後のことだ。
最初は、知り合いが紹介してくれた小学校などを配布先としていて、CALOの活動としては試行錯誤の状態であった。
そんな時、日本の大阪大学に留学経験のある主婦ノムラ・ルイサさんという女性を、大阪在住で彼女のホストファミリーだった方が紹介して下さった。
是非会ってほしい人がいるというので、そのルイサさんに連れられてマンチャイと言うところへ行く。
そこは当時「新しい街」と呼ばれた、いわゆるスラム街であった。アンデスなどから仕事を求めて来た人々が、
ここに住み着き自然発生的にできた集落だ。砂地やがれきの中にすだれで囲った小さな小屋が点々と建っている。
がたがた道を車で約1時間、やっと小さな学校にたどり着いた。
この学校の創設者、日系3世だというチュキーヤンキー・ヤマモト神父は小柄な方で、スペイン語しか話せなかったが、熱情的で闊達な方であった。
しかし、アメリカをはじめ、ヨーロッパ各国、そして祖母の祖国である日本にも援助の手紙を出したが何の援助もないと嘆いておられた。
日本の小学校から集めた鉛筆やノートなど段ボール箱一個を手渡す。神父は大変喜んで、「マリア様がわたしの祖母の祖国からのあなた方を呼び寄せ、
出会わせたのです」と言った。これが彼との最初の出会いであった。
ヤマモト神父はここでの学校教育の必要性について熱っぽく語った。ここでの学校は「勉強のため」だけではなく子どもたちの生活全般を担っていること。
「この学校へ来る前の子どもたちは、獣のようでした。彼らにまず手を洗うこと、顔を洗うことを教えました」と。
また、「日々の生活に追われる親たちからは何も教えられず、道徳観も、倫理観もなく、多くの子どもたちが犯罪の中に巻き込まれていくのです」。
彼らの多くはすだれに囲まれただけの家に住んでいます。わたしは私財をなげうってこの学校を建てました。
彼は得意満面な語り口でその学校へ案内して下さった。それはガラガラのガレキを横にどけて中央に平らな運動場を作りその横に簡単な建物が建っている。
子どもたちが出てきてそこに並んだが、まだ6年生までそろっていなくて(4年生くらいまで)全校生徒は235人だということだった。
制服も一応あるらしいが着ている子も着ていない子もいる。みんな好奇心旺盛な目でわたしたちを見つめてくれる。
CALOのドリル配布を決める 教室寄贈も
わたしたちのCALOの算数ドリル配布事業を知って、是非その援助を受けたいと次の年からの援助を約束した。
そして、教室が足りないというので、帰国して“Amigos”で2教室増設のためにキャンペーンを行い、CALO会員の方々からの寄付をいただき、
保護者の方々の実働の協力もあり実現した。
以後、ドリル配布活動としてペルーに行く時には必ずこの学校を訪問した。
訪れるたびにヤマモト神父は子どもたちを全員集め「カロのセニョーラ・カジタがきました!」と大歓迎して下さる。
運動場に集まった子どもたちは、最初は歓迎の歌をうたうだけだったのが、鍵盤ハーモニカや笛が加わり、今では立派な吹奏楽で迎えてくれる。
外国からの援助などが軌道に乗っているのだろう。なんと年ごとに学校は大きく立派になり、生徒数もふえて、
今では中等教育(中学5年生まで)まで併設している。CALOが寄贈した教室は地域のハンディキャップのある子どもたちのクラスとして使われている。
発展してたくさんの子どもたちが明るく迎えてくれる学校を訪れるのは、毎回うれしく楽しみなことである。
授業参観させてもらう。CALOの算数ドリルがどんなに大切に有効に使われているかを見ることが出来る。
ペルーでいくつもの学校を訪問したが、中にはだんだん荒れていく学校もある。去年配布した算数ドリルがどうなったのかを把握できていない校長や先生方。
算数ドリルより、わたしたちは衣料や食物がほしいとはっきり言う先生や、「日本に行ったらわたしは働けるだろうか」と相談してくる先生も。
ほんとうにそれほど生活が大変なのだと思う。しかし、CALOの算数ドリルは、当たり前だが算数の勉強に役立ててほしい。
算数教材として効率よく使ってくれる学校に寄贈したいという思いがある。そういう思いで配布校を取捨選択してきた。
現在配布している学校は程度の差こそあれ、みな有効に使ってもらっていると思う。
どこの学校もドリルを使っての授業参観はいつでも自由にできるし、絵本の読み聞かせもよくやっている。
絵本を劇や紙芝居にして見せてくれる学校もあるほどだ。
後輩たちにも算数ドリルを
さて、最初の写真にもどる。彼ら10人とは1時間以上の時間をとって話をしてもらった。3月の訪問では「卒業生に会う」という目的があった。
期せずしてそれが準備されたわけだ。一人ひとり、ドリルをもらった時の印象やCALOのメンバーの印象、
間近に迫った卒業後の進路についてなどを話してくれた。(この際の詳しいインタビューの様子は後日紹介したい)
奨学金をもらって大学進学を考えている子も。算数ドリルはもらえるのが当たり前だと思っていた。自分たちはラッキーだった。
1-2年に一度CALOのメンバーが訪れてくれるのはうれしかった。算数ドリルは自分で学習することができ、そのために数学好きになったのだと思う。
CALOの経済状態でドリル配布が中止されるのは残念だ。是非僕たちの後輩たちのためにもドリルを配布してもらいたいと、
一人ひとり立ちあがってしっかりした口調でわたしたちに訴えた。何の準備もなく、突然呼び出された彼らがこんなに立派に話すことが出来ることに驚く。
一年にたった1冊の算数教材がこんなにも大切で彼らに大きな影響を与えている様子に触れ、ここで配布が不可能になるのが心苦しい。
日本に帰ってCALOのみんなと相談しますと言い残し学校を後にした。
算数ドリル3000冊をペルーに寄贈するプロジェクト
寄付金キャンペーンにご協力を!
日頃はCALOの活動に対してのご支援誠に有難うございます。
昨年の算数ドリルの配布活動は、会員4人がペルーを訪問し、5校の小学校に3215冊を届けました。
CALOは1995年より17回にわたって、算数ドリルをペルーの貧しい地域の子どもたちに寄贈してきました。
その様子は会報Amigosを通してもお知らせしてきましたように、大変喜ばれ有効に使用されています。
子どもたちや先生方からも、このプロジェクトをこれからも続けてほしいとの要望をいただいています。
しかし、AmogsNO.103(6月)でもお知らせしたとおり、CALO総会では会員の高齢化、減少により資金が足りなくなってきたことに伴い、
今までのような「会費制」をやめ、年に一度キャンペーンとして「ペルーの子どもたちに算数ドリルを!」を行い、寄付金を募ることになりました。
会員の皆様にご協力をいただきたく、振替用紙を同封いたしました。
クリスマスや新年を前に、何かとお忙しく物入りな時期だと思いますが、ペルーの子どもたちのためにもお心をお寄せ下さるように、
CALOスタッフ一同心よりお願いいたします。
またこのプロジェクトには、オリジナルの算数ドリルを出版されている文渓堂様より毎回、30万円の支援金をいただき推進することが出来ています。
また今回のドリル送付後は、このプロジェクトは今までのように、毎年寄贈するということは無理だと思われます。
資金が集まったときに次の印刷を計画して行くことになります。
郵便振替口座
口座名 大阪ラテンアメリカの会
口座番号 00980-0-57563 |
三井住友銀行 箕面支店 普通預金
口座番号 0429270
口座名 大阪ラテンアメリカの会 代表 梶田雅子
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