Amigos No.81-4
2008年6月
日本人リマに暮らす(1)
リマ庶民の足 ”ミクロ”
“ Otra Esquina! ”(オトラ・エスキーナ〜「次の角で!」)
“ Lavanderia! ”(ラバンデリーア〜「洗濯屋の前!」)
競争の激しい乗合バス
乗客から大きな声がかかる。 それを聞いて車掌が運転手に同じ言葉をかける。
運転手は言われたとおり、角やクリーニング店の前でバスを停める。だがそこは停留所ではない。一応、通りに沿って所々にバス停はある。が、それにはお構いなしに客は降りたい場所を指示する。たまに車掌が指示を聞き逃したり、あるいは運転手が指示を無視して次の停留所まで行くと、乗客は一言二言文句を言って降りていく。リマのバスは同業者間の競争が厳しい。客の要求を聞かないと次にそのバスに乗ってくれないかもしれないのだ。
中古バスの見事な?変身・漢字もそのまま
バスというと聞こえはいいが、通称“ Micro (ミクロ)”と呼ばれる小型の乗り合いバスは、ほとんど90%日本の中古バンを改造したものだ。ちなみに残り10%は韓国から。
リマ市内の北に“カヤオ”という港がある。日本から運ばれてきた中古のバンはここでハンドルを左につけなおし、車内にイスをとりつけて急造の乗り合いバスに変身させる。
改造の技術は見事なものだ。少しでも多くの客を乗せるためイスは最大限とりつける。運転席横の助手席にも当然イスを置くが、少し余裕があれば二人分のイスになる。日本ではせいぜい7〜8人までのバンもここでは、ゆうに20人は乗せられる。
改造しても費用の節約か、車体に書かれている日本社名やPRを消さずそのまま残すものも多い。
その結果、リマ市内に日本の会社の宣伝が縦横にまかり通る。曰く「愛川幼稚園」「愛の店ダスキン」「(株)銀座やまと屋」「京都和装協会」などなど。地域的にも北は「北海道ゼロックス」から、南は「九州花王販売」まで。社名の他に車体や窓ガラスに様々なPRも。「会員募集中」「北建舗道安全パトロール車」「建物の概観を美しく 田中板金工業」「安全運転宣言車 ニッセンは日本一の安全運転を宣言します」・・・。
乗り合いバスである以上、車体には行き先、主な通過地点などの地名が大きく書かれている。無論スペイン語でアルファベットだ。それに混じって日本語が、それも漢字で堂々と大書されている。最初は驚き、何かの間違いではと思ったものだ。が、リマの街角で半日も見ていればそれは全然異常でもなんでもない、ごく当たり前のことだとわかる。
さる日系人の話では、全く異文化の漢字をある種「かっこいい」と敢えて残しているふしもあるのだとか。
乗客の獲得競争
リマの広大な地域を網の目のようにバスルートが通る。同じルートを何社かの異なる業者が営業していて乗客の獲得競争が激しい。その上決められた予定時刻というものがなく、あるいはあってもほとんど無視で、場合によっては同じルートのバスが2台3台と続いてやってくる。車掌の主な役目は、バス停が近づくとドアから身を乗り出し、車体をバンバンたたいて客を呼び込むことだ。「○○通り!」とか「○○区!」などと通過する通りや終着点の街の名前を叫んで。それに劣らず大切な役目は、同ルートを走る先行のバスと後ろから来るバスに注意することだ。大きなバス停には、通過するバスの時間をメモして車掌や運転手に知らせてチップをとる専門のオジサンがいる。そのオジサンに先行のバスが何分前に通過したか聞き、客が拾えそうな間隔をとるのだ。前のバスの直後では客は少ない。一方、あまり間隔を取ろうとすると後続のバスに追い抜かれ、次のバス停で客を根こそぎさらわれてしまう。そこで後ろに同ルートのバスが接近していないかを注意しなければならない。これが車掌の仕事なのだ。運転手も忙しい。フロントガラスには次に通る大きな通りや街の名前を書いた張り紙が貼ってある。その通りを過ぎると次の通り名に張りかえる。糊付けがしてあってペタッと付くようになっているのだが、何度も張り替えるうち糊が利かなくなってくる。運転手は糊の部分を思い切り舐めて張りなおす。リマの道路は管理がおろそかだ。いたるところに凸凹があり張り紙が振動で落ちる。その都度運転手は忌々しそうに舌で舐めては張りなおす。勝手な乗客は停留所でもないところで降りようとする。それでもひたすら乗客を獲得すべく、リマ市民の足・中古バスは今日も街中を走るのだ。ラテンの国らしく狭い車内に調子のいい曲をボリュームいっぱいにあげながら〜。
(つづく)
筆者・岡田勝美さんの紹介
中学時代、文献でインカ文明の存在に触れ、いつかペルーに住みたい、と強く惹かれる。40年の銀行生活リタイアを前に日本語教育のトレーニングに取り組む。日本で実績を積んだのちリタイアと同時にペルーに渡り、日本語教育アドバイザーとして5年ペルー生活を送る。
ペルーの日常生活、観光ポイント、フジモリ大統領と日系社会、など、「住んでみたペルー」をシリーズで紹介していただきます。
(写真はチチカカ湖での筆者)
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