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出前講座の要請をうけて
     

 
2005年12月8日(木)、箕面市立第六中学校一年生の総合学習にCALOの「NGO出前講座」が行く事になりました。当日は松本テレサさん、吉富允子さん、久堀洋子さんの3人が出かけました。この学校では一年生は「ライフストーリー」という事をテーマに総合学習をしてきたということです。「外国の方との出会い」「世界と自分とのつながり」など学習、体験してきたとのことでした。外国といってもあまりなじみのない南米のペルーについて、写真パネルで観光地などを紹介し、カルチャーボックスの日用品を見せて、ペルーの実際の文化、生活などについて話しました。中学生ということで、なかなか集中して聞いてくれるという事は難しかったようですが、あとで生徒たちからのメッセージが届きました。次に紹介します。

ペルーのことがとても色々わかりました。ありがとうございました。これからもペルーの人々に役立つ事をどんどんしてあげてください。私も絵本を渡したいなど、できることをやろうと思います。

知らなかったことをたくさん教えてくれてありがとうございます。ペルーの楽器の音色がとてもきれいで生でも聞きたかったです。でも、クイズで教わったごはんにミルクと砂糖をかけて食べるのはぼくにはできません。でも、いつかやってみようと思います。

いろんなところを回って、ペルーのことを教えているのはすごいなあと思った。また、いろんな話を聞けてよかったと思いました。面白かったです。


ボーイスカウト日本連盟 吹田12団 カブ隊へ


 2005年12月18日(日)午後、吹田市の地区公民館で行われたカブ隊の活動集会に招かれていってきました。年末のこの日、例年はクリスマス集会として、プレゼント交換などをして楽しく過ごしていたそうです。しかし、世界的な活動であるスカウトの一員としてこれでよいのかという疑問から「国際交流・ボランティア」などのスカウト活動の趣旨に沿ってCALOの活動を知り、自分たちでできることをしたいとのことでした。ビデオでCALOの活動を紹介し、現地の小学校を実際に映像で見た子どもたちは日本の自分たちの環境との違いに気づいてくれたようでした。寄付金をいただきました。(梶田)


訂正とお詫び!
  先号AmigosNO66で南米チリからのパジャドール(即興詩人)の催しの予告(2月18日)をしましたが、今年に入りチリ政府からの派遣許可がもらえないということで彼らの来日ができなくなりました。残念ながら中止させていただきます。訂正してお詫び申し上げます。



リマ 忘れない・・・この笑顔
=ペループロジェクト2005に参加して(2)
 安積秀子


 
CALO発足当時から会員として会費で協力してくれていた友人。枚方で永年、人形劇団を作り、子どもたちに楽しさを提供して活動。USAやオーストラリアでの上演経験もあり、ペルーの子どもたちにも人形劇で交流してみたいと希望していた人。(梶田)

=交通事情=
 スローライフに、たやさない笑顔のペルージャン・・なのに意外な面だったのは道路交通。この国には?それともここリマ中心だけ?交通ルールも規制もマナーもあったもんじゃない。日本の比どころじゃなく車が多いし、それもほとんど横っ腹に企業名そのままの中古日本車。隙間をみつけてどんどん入り込んでくる。誰もレーンを守っていない。時として乗っているこっちはヒヤヒヤどころか急停車の連続で胸のあたりがムカムカ。学校訪問の連日、我々がいつも移動するのに一緒だった、気はいいんだけどハンドル握ると性格一変するマイクロバスのおじさんは「事故?見たことないし、起こした事ないよ」って。ウソー!絶対交通事故ナンバーワンだと思うよ、この町。それにしても自転車は少ないよね。バイクなんか全然見ないし。なんでェ?

=希望=
 そんな思いでやっと着いた4校目のコマス小学校。ここは崩壊危険校舎の使用禁止を政府から言い渡され取り壊したので満足な校舎はない。新校舎のため会員間で集めた寄付金をCALOが持参したものの、半分にしか満たず、梶田さんとジャネット、女校長先生が階段下の狭い校長室で真剣に長時間話し合っている。外の小さな広場では子供たちが整列して私たちを待っていてくれているのに。スペイン語がわからない私には仔細はどうあれ各々が支援したい、して欲しい。でもこれだけしかないからこうしょうという空気はつたわり切ない気持ちになる。
それでもCALOと話し終わった校長先生は整列したまま待つてくれていた児童に日本人のやさしさを伝え子ども達に“希望”をプレゼントしたようだ。拍手と歓声。まだみえぬ新校舎をどんなに喜んだか。そして校長が「見てやってください。この本をどんなに愛読したか。練習したんですよ」と、昨年CALOが手渡した絵本の中から「おおきなかぶ」を6人の子どもたちが寸劇で見せてくれた。
 それにしてもこの国は危険校舎の使用禁止令は出しても、新たな校舎のお金は出さないんだ。
ここの児童にもパネルシアターと人形劇をみてもらった。ほとんどの子がはじめて人形劇なるものを生で観るとか。セリフがなくても判るものを用意したのはよかった。真剣に観声を上げて笑い、先生共々楽しんでくれた。人形劇をみる子の顔つき、目、笑顔、笑い声はどこの国の子も同じだなとうれしくなった。

=先生=
 学校訪問最終日。その2校のうちのカセレスは特別、貧しい。先に記した草1本ない山腹にバラック建ての家がビッシリ。そんなあいだにその学校はあった。いや、学校のかたちはなしてない。寺小屋(?)というほうがあたっている。でも先生も児童も“超”明るい。元気。「見てください!塀の1部分が出来たの!」とても誇らしげに校長先生はいった。ほんと、その一部分の塀はその地に不似合いなぐらい高く高く、モダンだった。
校長は「新地のママ風」化粧でまつげバリバリ。香水プンプン。ジーンズのおしりが、すごーくかっこよくプリンプリンしている。
 この校長先生のまわりには、たえず子どもたちが押し寄せているし、私たちのまわりにもいるので「団子状態」になって狭い場所を移動するのがやたらおかしい。この先生、つねづね子どもを喜ばすことばっかり考えている人なんだろうなと思った。うちの長女から託された文具類を渡したら「あした絵のコンクールするんだけど、その景品がなかったの。これ使うわ!グラシアス!」「ところで昨年持ってきてくれた古着、とても助かったんだけど今年はないの?」目をパチクリしながら明るく、軽々にいわれるので、フト校長だということを忘れてしまう。 

=不可思議 なんで?なんで?の国=
 この国に文部省はあるのかないのかしらないけど予算なし、熱意なしなのは見当がつく。話によると、先生のお給料も低く、教師のなりてもないらしい。校長は資格を持っていても、他の先生は近所のおばちゃんとちがうかなと友人が言う。見たところそんな感じ。中学生ぐらいのお姉ちゃん先生のような人もいた。でも、そんな現場の先生たちは一様にエネルギシュで子どもへの愛、教育への熱意が感じられる。
こうやって、各学校をまわっていると、教科書、教材、遊具、衣類にしろないものだらけの状態。かたや日本にはありあまる現状。じゃあ、中古品や不用品を輸送すればと思うが、手紙類でも着かないものもあるとか。絵本だって輸送では無事に着かないらしい。なんでェ?この国の郵便事情や税関はどうなってるの?

=アディオス!=
 今回6校訪問し3000冊の算数ドリル、100冊の絵本を配布し3000人の子どもたちの笑顔に出会えました。念願の人形劇も観てもらえました。教育に熱心な先生方にもお会いし頼もしい思いも感じました。そして「これからも変わらぬ支援を!」との要望もされました。
 はじめて行ったペルー。衝撃的な光景、不可思議な現象もありましたが、子どもたちの笑顔がそれをいやしてくれました。この子どもたちの笑顔をぜつたい曇らして欲しくない。なんとかしてあげたいとフツフツわくこの気持ちを大事にしようと。
友人は言います「わたしらのしていることは焼け石に水やけど、せえへんよりはいいやろ・・」と。
なんで?なんで?の国ペルーだけど、やたら人間くさく、人なつこく、貧しいけれど生活感あふれる国。そしてまたすばらしい世界遺産マチュピチュの歴史とロマン。アンデス、クスコ、チチカカ湖、タキーレ島での素朴な人々の生活。彼らとのふれあい。駆け足だったけど、なんともはや不思議な時空に身を置いた貴重な旅だった。
 協力してくれた若い人たち、ジャネット、ゴンザロ、カルロス。日本で苦学生として留学していたが今は一流専門学校の教授で贅沢な食事を招待してくれたピーター。60数年前に日本から移民してきたペンションオーナーの光増さん(47日かかってペルーに渡った移民時の話や苦労されたその後の話はまさにドラマそのものだった)ありがとう。
なにより誘ってくれた梶田さん、通訳のテレサさん、記録を撮りつづけてくれた斎藤さん、なんでもメモって教えてくれた坪内さん。ご同行出来て最高でした。ムーチャス グラッシャス!!

=余談・トイレの話=
 ペンションの部屋には広いシャワー・トイレつき洗面所があった。ふたつきごみ箱も。これに「おしりシャワー」ついていたら最高なんだけどナって普通に使ってた。
旅の予定も半分過ぎた頃、友人が「落とし紙、ごみ箱に入れる時…% # @ Ж ※ ? ?…」ウッ?!「紙、どうしたて?」「エ?落とし紙ごみ箱に・・・」「ウソー!なんで?水洗やのに!なんでよー!全部流してたよ。聞いてないよ!」「言ったと思うけど、まぁ、今からそうして」・・・っていわれても。
 クスコでもプーノのホテルでもなかなかその気にならず、気がついたときには、なかよく流れていってる。その気になってからも、なにか抵抗感がじゃまして流してしまっていた。友人が「国中の下水管が細いらしいわ」うわー!どうする。罪悪感。私の流した紙だけで下水管が詰まる夢見そう。他の同行者には聞いてない。聞けやしない今さら。でも、やっぱり、きっと一緒に流してたと思う。
 「地球の歩き方」にものってないから、皆さんお気をつけあそばせ!(おわり)




CALOの歩み(13)  
         梶田雅子
   10年を振り返って
        緊急援助

 
この10余年の間、CALOは何度かの「緊急援助のためのキャンペーン」を行ってきた。会の設立当初には考えもつかなかったことだったが、実際にそういう大変な災害などが起こると「他人事」とは思えなくなってきている。そして何らかの「機関」を通さずに、私たちの持っている人的ネットワークをつかって効率のよい援助が出来るなら、やるべきだという会員の声があがった。実際、CALOでしかできないであろう援助金の届け方がいくつかあった。
 時代の流れで、円が強かったときには寄付金も有効に生かせたのに、そのころに比べると、ドルに替えて目減りするのは悔しい事である。また、当初は寄付を頂いた方々の名前をAmigos紙上に載せさせていただいたが、現在は個人情報の取り扱いに気をつけなければいけないので、そういうことは割愛させていただいている。Amigosで会員のみなさんに訴えて、ご協力をお願いしたのはつぎの事柄についてである。

<中米ホンデュラスへ義援金>

  この年(1998年)の10月末、ハリケーン・ミッチーの襲来により、中米のカリブ海沿岸諸国、ホンデュラスをはじめグアテマラ、ニカラグア、エルサルバドル、そしてカリブの島々、ドミニカ共和国などに大きな被害を与えた。当時、発展途上国とされるこれらの国々の発展は約30年は後戻りする事を余儀なくされるだろうといわれたほどの大きな被害であった。
新聞やテレビで大きく報道されるにしたがって、CALO会員やそれ以外の人たちからも「大阪ラテンアメリカの会としては何も援助はしないのですか?」という問い合わせが出てきた。そして、在日本・ドミニカ共和国大使館からも援助の要請があった。
早速、私たちで出来るだけのことはやってみようという事になり、11月3日に服部緑地公園で開催予定のワンワールドフェスティバル会場で、募金を呼びかけた。
 
同時に、算数ドリルの翻訳、作成やペルーでの配布にも協力してくれたノルマさんという方が、その当時ホンデュラスに住んでいたので連絡をとった。ギリギリのところで彼女の住んでいた家は被災をまぬがれたが「被災地」にいるということだった。以後、ファックス、電話などで彼女と連絡をとり、彼女を通して義援金を届ける事にした。被災地の様子を知らせるリアルな手紙が届き、私たちはなお一層募金活動に力を入れようと思ったものである。

ホンデュラスには結局3回にわたって合計約40万円をノルマさんを通じて送り、被災者の世話をしているカトリック教会の教区司祭に手渡され、被災者に、マットレスや毛布、食品などが贈られた。贈呈された被災者たちの写真と、教区司祭やノルマさんからの感謝の手紙も送られてきた。

<ドミニカ共和国への義援金>
 上記の義援金の中から、ドミニカ共和国大使館宛てにも1万数千円を贈ったほか、南米コロンビア地震被害にもコロンビア大使館に10万円をCALO会費から贈ることができた。

<マンチャイの小学校への教室増設>
 2000年4月発行のAmigos NO.32で「キャンペーン・マンチャイの子どもたちに教室を!」という紙面を載せている。マンチャイの小学校というのは正式の名前は「ビルヘン・デル・ロサリオ」(ロザリオの聖母)という名前で、国立小学校ではなく、ひとりのカトリック司祭が私財をなげうって建てた学校である。ペルーの首都リマ周辺にどんどん出来ている「不法占拠」の家々、いわゆる「スラム」。学校も何もない地域。そのなかに建てられた学校である。「ここへ来る前の子どもたちは、獣のようでした。彼らにまず、手を洗う事、顔を洗う事から教えるのです」と。

 私学ではあるが、ほんの少しの授業料で行く事が出来る。この日系人のヤマモト神父はもう3世くらいの人で、まったく日本語を話すことは出来ないが、私たちに出会って「私の出身国の人たちに出会えたのは神の御心です」と大喜びされ、CALOに大きな期待をよせらた。まだ出来て間もない学校で、低学年まで。彼らがもう高学年になるのに、高学年用の教室が4教室足りないというのだ。資金援助の依頼があり、出来るだけやってみようという事になった。早速、郵政省「ボランティア貯金利子配分」を申請したが、これは受けられなかった。

 しかし、会員の皆さまからの暖かい寄付金は約50万円余りになり、それを教室建設の材料費とし、子どもたちの親たちが労働奉仕をしてなんとか2教室建てることができた。工事中の写真なども送られてきてAmigosで報告。その年(2000年)11月ドリル配布のためにペルーに行ったCALO会員5名は、この学校での教室落成式に招かれ晴れがましい思いをさせてもらった。新しい教室の中の壁には「この教室は大阪ラテンアメリカの会から贈られた」という立派な額がかかっていた。その後何度かこの学校を訪問しているが、いつも有効に使われていて、心からよかったなあと思う。今は知的障害児たちの教室となっている。

<ペルー南部地震への義援金>
2001年6月、ペルーの第二の都市といわれるアレキパという街が大きな地震に見舞われた。数日後には沿岸部には津波の被害もあり、数百人の犠牲者が出たとの報道があった。CALO会員が訪れたことのあるその街はスペインの植民地時代の美しい建造物の残る街であった。被害に遭ったのはやはり貧しい地域の人々が多かった。「緊急救援キャンペーン」のはがきを会員の方々に送った。約23万円の寄付金をいただいた。それを、その年の9月、活動のためペルーに行くCALO会員が持参した。現地でいろいろ調べたところ、アレキパの近くのモケグアという街の被害がひどく救援の手が未だ差し伸べられていない。ペルー日系人協会ではそのモケグアの援助に立ち上がっているとのこと。さっそく日秘文化会館に行き、馬場ルイス会長から現状を聞き、寄付金を手渡した。それはモケグアの孤児院の子どもたちの食料と、被災者たちの復興のために使われるということになった。

<コマスの小学校への教室増設>
 現在進行中のもの。2004年11月、ペルー活動でコマス小学校を訪問する。何度来ても本当にひどい校舎。ロサという女性校長はいつも熱心で、熱烈に歓迎してくれる。何年も前に親たちの手作りで建てた校舎が傾き、政府から「使用禁止令」が出されている。援助を頼まれたが、私たちが手におえる事ではないと、計画だけ聞いて返事は保留した。昨年のCALO総会にその件をはかったところ、「できるだけ」の援助を一応キャンペーンとして呼びかけてみようということに決定した。
 
たくさんの会員の方々からこのキャンペーンに寄付金を寄せていただいた。しかし、5年前のマンチャイのときと比べても、物価の値上がりや、ドルの値上がりなどがあり、見積り額には達しない状態である。しかし、浄財をお寄せいただいた皆さまの好意を宙ぶらりんにする事はできない。現在、この予算でできる範囲の教室増設をしてくれる設計士に相談してくれるように、現地スタッフ、ジャネットに依頼し、向こうで動いてくれている。現在、その返事待ちである。(つづく)



在日外国人児童たちとすごした日々(4)  吉富 允子

   1996年4月から3年間、岐阜県の小学校に外国人児童担当として、ブラジル、ペルー、フィリピンなどからの児童との取り組み、彼らとともに学び活動し感じた事など、当時を振り返ってもらいました。筆者・吉冨さんは現在はCALO会員として「出前授業」などにもこれらの経験を生かして協力していただいています。この連載は今回で終わります。ありがとうございました。(梶田)

家庭訪問 いろいろな相談ごと
 
毎年5月に家庭訪問が行われます。担任と一緒に私も外国人児童の家庭へ訪問しました。また問題が起こったときにも、しばしば訪ねました。南米の人たちはフレンドリーだから、いつも「どうぞどうぞ」と言って家の中へ入るよう勧めてくださいました。家庭訪問のスケジュールは10分〜15分刻みに行われているので、担任の先生はすぐ次の児童のところへ行かなければなりません。ざっと家庭の雰囲気を知る程度です。そんなわけで私が残り、話に花が咲くことが多いのです。このとき出してくださる飲み物は砂糖の入ったお茶やインカコーラ(ペルーの飲み物で炭酸が入っており色はオレンジジュースの薄い色をしている)ブラジルのコーヒーなどです。
 
 子どもたちの家庭での様子は、家事をよく手伝い下の子の面倒もよく見ています。弟や妹の調子の悪いときは、本人が学校を休み世話をします。また日本語の話せない両親が病院に行くときは、通訳のため児童が学校を欠席して親についていくこともあります。薬局で薬を買うときも、どの薬も成分・効能・用法・用量・使用上の注意は全部難しい漢字混じりの日本語で記述されているため、少し話せる子どもを連れて行くととても助かるようです。

 両親が共に働いている家庭で、父親が夜勤である場合があります。ですから普通訪ねていくときは夕方になるのですが、そんな時、日本であるのにあたかも外国のような気がします。なぜかというと、テレビはIPC(スペイン語やポルトガル語が聞ける外国語放送)であり、新聞はインターナショナル・プレスでスペイン語かポルトガル語。かかってくる電話は、友達か親戚で母語。日本語はまったく介在しません。
 
 家庭訪問すると、「ああ、センセイ! ちょうどよかった」と言っていろいろ質問される場合があります。たとえば「中古の冷蔵庫を買ったのだがどうも調子がおかしい。イチゴがホラこんなにコチコチになっている」言われる。よく調べてみると強弱調整のつまみの強弱を反対に作動していました。つまり弱くしようと思って「強」の方に回していたのです。漢字がわからないからと考える前に中古だから機械にトラブルがあると思っていらっしゃったのです。それから「同じ職場で働いている人の娘さんの結婚式に招待されているのですがどんな服装でいけばよいのでしょうか」また「中古車を買ったのだけれど気に入らないので、同じ中古車の別のものと取り替えたいのです。このことを日本語でどう言えばよいのですか」などなど。
 
 彼らの家庭を頻繁に訪れることが、彼らを理解する早道であると痛切に感じました。そして、私が南米を訪問した後、ペルー人のお母さんが「センセイ、ペルーに行ってきた。わたしうれしい」と言ってくれました。子どもを理解するために行ってきた南米。私もほんとうによかったと思いました。そして彼らが母国へ帰国すれば、私は再訪の思いをかりたてられることでしょう。

<なじめない分団登校など>
 藤沢市の教育委員会が作成した外国人児童向けの「日本の学校」のビデオがあるということを、私が勉強のために参加していた名古屋大学大学院の中で行われる「在日外国人教育研究会」で知り、お願いしてダビングしていただきました。
 これは、通学路のこと、分団登校の様子、書写やそろばんなどの学習内容、警報が出たときのこと、欠席する場合の学校への連絡の仕方などがポルトガル語とスペイン語で子どもによくわかるように説明されているビデオです。これを見せても親に話をしても外国人にとって、頭ではわかっているようですが、分団登校というのはなかなか理解できないのが現状です。
 
 グループで登校する様子は、はじめて来日した外国人が目にすると、とても奇妙だと言っていました。私がメキシコ人のフェルナンドという人(30歳代の画家)に日本語を教えていたときのことです。彼は「数人がグループで、静かに、スーッと僕の家の前を通り、また帰りも黙って帰る。子どもっていうものはあんなもんではない。もっとにぎやかにはしゃぎまわっているものだ」と言っていたことがあります。
 それからALT(American Language Teacher=小中学校に英語指導助手として来日している先生)が言ったのは「今日、私はいつもより早く学校に来たのですが、大きい子が旗を持ってピッピッと笛を吹いているのを見てびっくりしました」と言っていました。私たち日本人は、見慣れているのでなんとも思わないのですが、外からはじめて日本に来た人にとっては珍しいのです。だから日本人は旗を持った添乗員の後ろをついて旅行するのが上手なのかもしれません。
 
 会社で朝おこなうラジオ体操も珍しいので写真をとった外国人観光客もいました。ペルーにある日本人の工場で働いているペルー人はイヤイヤこのラジオ体操をやっていた時代があるそうですが、このことに関しては、今日ブラジルで日本のラジオ体操はよいこととして見直されているそうです。
  
 しかし、この分団登校というのは、外国人児童にとっては、なかなかなじめません。北米、南米では、ヨーロッパも同じでしょうが、親が車で送迎したり、こどもの家庭の運転手の送迎、またスクールバスで通学しているところが多いのです。治安が悪いからということもあるでしょう。また現在日本人でも分団は難しいという状況にあります。私の学生時代とは社会的背景が異なってきており今の子どもたちは、昔と同じやり方では無理をしているのかもしれません。現状を冷静に見つめて、きめ細かな対策を考えていく必要があると思っています。

<大阪ラテンアメリカの会>
 CALOがペルーの子どもたちに翻訳のドリルを作成した事を知り、ペルーから来日してまもない児童に使わせたいと思い依頼していただいてきました。会のほうでは非売品なので差し上げますといってくださり感謝しています。数冊の算数ドリルを手にとって見て、これだけのものを作成するのはさぞ大変な作業で会ったでしょうと数年間の苦労が伝わってきました。(おわり)




2005・ペルー”で…子どもたちと No1

(昨年のペルーの学校での体験を何回かに分けてお伝えします) 坪内 好子
 
2005年9月20日午後3時(現地時間)私たちは最初の訪問校Fe y Alegria 43校につきました。この学校では、どこまでも続く砂地の中で貴重な命の水を工夫し、努力して、校庭には緑が息づいています。「ああ、なんてこと。木が大きくなってきている!」一気に前回を思い出します。
子どもたちは校内の広場に整列して迎えてくれます。まるで素晴らしい使者を迎えるかのように…。代表の梶田さんについてきた私は、2年前を思い出し、やはり面はゆさを感じます。が、子どもたちの顔を見つめているうちに自然と「かわいい!」と笑みがこぼれます。同時に、学生時代に「ど〜この国で〜も、子〜どもは子〜ど〜も〜」と歌いながら人形劇を県北の学校で演じていたことが思い出されます。
珍しい文化、知らない文化を持って学校を訪れる人に好奇心を持ち期待に胸をふくらませる姿は同じです。その発見だけでもう感動です。「やっぱり、地球上のどこにいても子どもは教育を受けられる場にいなくちゃ」と再認識します。
子どもたちに算数ドリルと絵本を渡し、CALOのメンバー、同行した数人の留学生たち、ペルーでのこの活動の窓口Jeannette(ジャネット)さん、Gonzalo(ゴンサロ)さん、Crlos(カルロス)さんを紹介します。それから校内見学です。小学生の体育の授業風景、校内に水を引き多くの野菜を栽培しているコーナーや飼育しているウサギの小屋、別棟の中学生の学ぶ専門教科学習の教室等々。小・中学生合計1500名が在籍しているというこの学校は敷地も広い。また、校内で校長先生に出会うと挨拶のハグを交わしていく子どもたちは濃紺やグレーの標準服、上着を脱いだ子たちは白いシャツを着用しその姿には活気があります。
この後数校訪問して行きましたが、学校の規模も教室の様子も随分違います。ただ子どもたちの訪問者を迎える期待のこもった目は共通していると感じました。(つづく)


お知らせ・メ  モ

総会のお知らせ
 
2006年総会を下記のとおり行います。年会員の皆さまには次号Amigos(4月初旬発送予定)に出欠はがきを同封いたしますので、お手数ですが、ご返送ください。ひとりでも多くの皆様方のご参加をお待ちしています。
日時:2006年4月15日(土)2時半〜
場所:箕面市国際交流協会(箕面市豊川支所2F)
内容:活動報告、会計報告、活動計画、他

 

あとがき:
ペルー活動の体験をできるだけいろんな人に書いてほしいと思っていました
昨年2度目のペルーを体験した小学校教諭の坪内さんが今回から書いてくれています
コマスの教室建設について新しいニュースはありませんが、次号では何か報告できると思います。(M)